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- 2017秋号Vol.99
- 2017二学期号Vol.98
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- 2017新学年号Vol.96
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- 2015冬休み号Vol.88
- 2015秋特別号Vol.87
- 2015二学期号Vol.86
- 2015夏休み号Vol.85
- 2015新学年号Vol.84
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- 2014冬休み号Vol.82
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- 2014二学期号Vol.80
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- 2014新学年号Vol.78
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- 2013冬休み号Vol.76
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- 2013春休み号Vol.71
- 2012冬休み号Vol.70
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- 2012春休み号Vol.65
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- 2011秋特別号Vol.63
- 2011二学期号Vol.62
- 2011夏休み号Vol.61
- 2011春休み号Vol.60
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バックナンバー
こども新聞とは
忘れられない思い出 親子でキャンプ!
秋の行楽シーズンに潜む危険!
富田東サッカースポーツ少年団
富田東サッカースポーツ少年団はこんなチームです!
富田東サッカースポーツ少年団は1992年に発足し、今年で24年と歴史のあるサッカースポーツ少年団です。
現在、郡山市立富田東小学校の児童と近隣の小学校の児童が在籍し、多くの大会で活躍しています。1年生から6年生までそれぞれのレベル、個性に合わせた指導をしております。
2009年の全日本少年サッカー大会では全国大会に出場し、4年生から6年生でのチームでありながらベスト16の成績をおさめることが出来ました。出場した子供達は決して特別な子供達ではなく、普通の無邪気な子供達です。
個性を発揮して、小さいながらも全国強豪に立向う!
6年生主体のチームが出場する中、それぞれの個性を発揮し、小さいながらも全国の強豪に立ち向い、「最後まであきらめない」「夢はかなう」を合言葉に、大きな舞台でも臆することなく最後まで戦いぬく、そんな子供達を応援するのが「富田東サッカースポーツ少年団」です。


土曜・日曜の午後は、富田東小グランドが熱い!!サッカーで元気な声が響く!
郡山市立富田東小学校、及び近隣の小学校の児童1年生から6年生までが、郡山市立富田東小学校グランド、及び体育館にて活躍。サッカーやフットサルの各種大会参加・親子サッカー・サマーキャンプなど、多種の大会を積極的に行っている「富田東サッカースポーツ少年団」の皆さんです。見学や体験からはじめることが出来ます。
本宮市立岩根小学校
「ふるさと教育」は学校経営の柱 岩根を大切に思う子ども達
●歴史とともに成長する岩根小学校
今から140年以上昔の明治7年、岩根地区にある龍傅寺を校舎として開設してから岩根小学校の歴史は始まりました。
明治29年に現在の校舎がある場所に移転されてから、昭和50年に現在の中央校舎が完成。平成21年に西校舎増築、平成24年に東校舎増築、そして平成27年に体育館が新築されてきたように、近年の成長はめざましく、児童数も安達地区内で最大児童数となっています。
●元気あふれる子ども達
岩根小の子ども達は、元気で明るい子ども達です。授業時間には、元気な歌声が聞こえてきたり、ALT(外国語指導助手)とのやりとりを楽しむ英語の声が聞こえてきたりします。もちろん、課題解決のために友達と考えを交流させ、学びに集中する姿も見られています。
休み時間になれば、今度は校庭で元気いっぱいに遊ぶ子ども達がたくさん見られます。サッカーやドッジボールだけでなく、鉄棒や一輪車などの練習にも進んで取り組み、運動に対する意欲あふれる子ども達が多いことは岩根小の子ども達のすばらしいところです。
●岩根を大切に思う子ども達
「ふるさと教育」を学校経営の柱として、岩根地区の人・もの・こととかかわる学習活動を積極的に進めていることから、岩根のよさを学ぶだけでなく、自分には何ができるのかを考え、実行していく学習活動を通して「岩根を大切に思う」子ども達が増えてきています。それにともない、学校のシンボルツリーとされる「甚四郎桜」から子どもたちの発想をもとに「にゃん四郎」という学校のゆるキャラが誕生しました。数年前から学校行事等に姿を現すようになって、子ども達から大人気となっています。
ぜひ、活気あふれる岩根小学校へ、皆さんも一度ご来校ください。きっと、元気な子ども達のあいさつが聞こえてくるはずですよ。

郡山市立橘小学校
しっかり学ぶ 授業の橘 あいさつ明るく 笑顔の橘
4月28日(金)第1校時「ようこそ。1年生!」~新しい仲間58名を迎え、学校の兄弟姉妹~30班編成の異学年縦割り班~総勢330人の「たちばな家族」が体育館に集いました。児童会:運営集会委員の歯切れのいい明るい口調の進行。各班の班長が率先してリードする自己紹介ゲームや○×ク イズ、じゃんけん列車に校長先生も先生スタッフも加わって…、たちばな家族みんなが、たっぷりと楽しむことができました。1年生の子をふわっと抱き上げて、壇上の様子を見せてあげようとする6年生のしぐさ。高学年のお兄さんお姉さんの手をぎゅっとにぎって離れないようについていこうとする小さな手。班の仲間のクイズ正解に、自分のことのように拍手をおくるたくさんの笑顔…2校時が始まると、どの教室でも国語や算数の授業がしっとりと展開されていた…この日でした。
5月14日(日)低学年児童の目線から運動会を見ると、「たちばな家族きょうだい班」で仲良しになった6年生が校庭を駆け回って、かっこよく係活動に奔走する姿。「だいじょうぶ?」と、腰をかがめて声をかけてくれる5年生のやさしいかかわり。隣の応援席で声をかぎりに応援し続けた3・4年生のお兄さんお姉さんたち。迫力ある騎馬戦の姿。「すごい!どれもすごすぎる!」とあこがれの瞳を釘付けにした鼓笛演奏などなど。上級生のよりよい姿は、きっと下級生の子どもたちの心にも響き、”いつか自分もあのような上級生になりたい“という気持ちを強くしたに違いありません。
『しっかり学ぶ 授業の橘』
『あいさつ明るく 笑顔の橘』
こうして橘小学校の風土は受け継がれ、きっとこれからも引き継がれていくのです。
今年、創立96周年。2020年のオリンピックYEARには創立100周年を迎えます。地域の方々のあたたかいまなざしと惜しみない協力に支えられて、地域とともに歩んできた一世紀。今日も、子どもたちの『しっかり学ぶ明るい笑顔』がいっぱいです。

神社のあれこれ
鳥居があるのはどうして?
「鳥居がない神社はまずない」ことや「地図記号でも鳥居が使われている」ということからも鳥居は神社にとって大切なものだということがわかります。神社のシンボルで、神聖な場所なので、鳥居が外の世界との境界にあることで「ここから内側は汚してはいけない」ということを示しているのかもしれません。しかし、鳥居の起源は今のところ明らかになっていません。
古代の神道において、柱状にそびえたつものを神さまが降りてくる時に目印としていたことから、「神さまの目印」や古代信仰において鳥が神さまの乗り物だったことから、鳥居が「鳥の象徴」だという説もあるようですが、解明はされていません。また、鳥居から社殿に続く道を参道と言いますが、その中央は、正中といって神の通り道とされるので、避けて歩くのが作法とされています。
狛犬がいるのはなぜ?
神社でわれわれを迎えてくれるのが狛犬。ときには愛嬌さえ感じますが、彼らにもちゃんと役割があります。悪しきものが入らないように見張っているのが狛犬。狛犬は犬の字はついているけれど本当に犬なのでしょうか?じつは狛犬と呼び慣わされているけれども、右と左は別の生き物だとする説があります。頭に角があって口を閉じているのが狛犬で、角がなく口を開いているのが獅子だという説です。狛犬は空想上の動物で、その名前も「高麗犬」つまり「外来の動物」と言えます。
燈籠があるのはなぜ?
神社に限らず、お寺さんでもよく見かける石燈籠は、日本的風景のアクセントでもあります。しかし、燈籠は仏教に起源をもつものなのです。仏教において燈明は重要な供物とされてきましたが、神道はむしろ闇を大切にする宗教でした。「くらやみ祭」といった名前が残っているように、お祭りの最重要な儀礼は深夜の浄闇のなかでおこなわれることが多かったのです。しかし、神仏の習合が進み、神社にも仏教的な建物が建てられたり、儀礼がおこなわれるようになり、神社の境内にも燈籠が採り入れられるようになったためです。

お神輿に込められている意味は?神さまの乗り物
お神輿とは、神さまが神社を出るときに乗る乗り物です。奈良時代の中ごろ、宮廷貴族の乗り物から生まれました。お神輿のルーツとしては「天平勝宝(てんびょうしょうほう)元年(749年)豊後の宇佐神宮の八幡神が『京にのぼり、奈良東大寺の建立を助ける』というお告げを出した際、八幡神の遷座に紫色の輿が用いられた」というエピソードがよく知られていますが、神さまを輿にお乗せした初期の例といっていいでしょう。以後、お神輿は世間に普及していきます。
お神輿にまつわるしきたり
お神輿の練り歩きを見たことがあるなら、担ぎ手たちがお神輿を荒々しくゆさぶる場面を見たことがあるかと思います。ゆさぶるならまだしも、お祭りによっては、お神輿を激しくぶつけあったりします。実は練り歩く際のれっきとした、しきたりなのです。
練り歩きは、神さまの霊的パワーを行き渡らせるためにおこなわれます。そのためにはお神輿の中にいる神さまの御霊に、霊的パワーを維持してもらわなければいけません。お神輿をゆさぶる、ぶつけるという行為は、中の神さまの御霊を刺激し、霊的パワーを維持させる目的で行われています。そしてその地域の災いや災難を取り除いてくれます。眠りかけている人をゆさぶって起こす様子を想像すればわかりやすいです。
最後の宮入の時に地域によっては、海浜や川辺に行き、水の浄化力で厄災を洗い流したり、神輿落しといって階段からお神輿を落として壊すといったことが行われます。これは神輿についた災厄を祓って清めるためです。
見物の注意点 お神輿を上から見下ろしてはいけない
今はあまりこだわらない人も多いと思いますが、お神輿見物は、二階など高い位置から見下ろすなんて、とんでもないこと!場合によっては叱られることもありますからご注意を!なぜなら神さまが乗っているんですもの。見下ろすなんて神さまに失礼な行為。見物する場所に注意しましょう。
またお神輿の担ぎ棒に乗ったりする光景を見かけることもありますが、神さまが乗っているお神輿なのですから、遠慮するのがマナー。しかし、中には「神さまとの一体感を表すのはよいこと」といった肯定的な考えも存在しています。
なお、お神輿の練り歩きを見物するときには、場所に気をつけましょう。